フォーカシングという、カウセリング手法があります。諸説ありますが...
何に注目するか焦点を当てるかで課題を掘り下げようとする方法です。
相談者を「可哀そう慰めなければ」と思うと悪い面はあまり見ないで良い面を見ようとします。
しかし、この場合可能性はあまり見ていません。
(可哀そうなのは実は自分です、同病相憐れむの状態)
良い悪いを明確に切り分け、可能性を探ると、可能性に焦点を合わせると、別の言い方をすると
逃げ場をなくすと(悲壮感の場合は逃げ場を与えています)可能性が、必ず見えてきます。
この「可能性は必ず見える」という考え方は経験的に裏打ちされたものです。
コンサルタント経験などがあると、この自信が付きます。
(ただし人事の誤りで部長級のコンサルタントでこの自信のない者もいます)
この可能性を「リソース」といっていますが、リソースをしつこいほど探す(考え方で実際は、そんなにしつこくはしません)リソースに関してもパワーとか部分的にしかとらえない者もいますが、あらゆるモノことすべてが対象です。
この考え方で解決策が明確になり結果、悲壮感は、なくなるという事です
これが慰め型では解決策が得られない理由であり、ジャッジすると可能性が見えてくるという違いですが、可哀そう型は、解決ではなく救済やセラピーがカウンセラーの目的と思っているので、
「ジャッジする」という事に慣れていなくて自信がなく心理的抵抗感も持っています。
この現象は「可哀そう型」に限らず、中途半端な市民感情そのままのカウンセリングの目的が何かを明確化できてない者にも見られます。
⇒解決指向のカウンセリング④